考えるという行為にはアウトプットが必須
この考えることのプロセスの3つは同時に考えるために必要な作業要件です。「感じる力」「情報を整理して構造化する力」そして「表現する力」の3つの作業要件。この3つがうまく組み合わさって「考える」ということになっているのではないかと思うんです。
ただし、このプロセスは必ずしもきれいに順番に進行するわけではありません。
情報を整理するのはまず自分がわかる形に表現できないといけないし、それに整理したものから意味を読み解くには整理した構造から何かを感じないといけないから。絵を描いたり楽器を演奏するのに近いのかなと思います。
考えるということには、「感じる力」「情報を整理して構造化する力」「表現する力」の3つが必要だということです。言い換えると、「インプット力」「論理力」「アウトプット力」とも言えるかもしれません。インプットだけでもダメですし、論理的に整理できていない状態でアウトプットしても得られるものは多くないかもしれません。さらにここに表現したあとのフィードバックを上手くうけることのできる「フィードバック力」があると考えがさらに熟成されるかもしれませんね。
まったくそのとおりでアウトプットが1つもないことを「考えた」とは言いません。
できそこないのアウトプットの積み重ねが、最終的なできそこないでないアウトプットを生むのです。
つまり、「考える」ということには以下の2段階があるということです。
1. 小さなアウトプットを重ねて穴=自分が何がわかっていないかを可視化する
2. 問題が穴埋め問題に変換できたところで最終的な解決を導き出す
ここでもあるように、アウトプットは考えることには必須です。アウトプットし続けることで自分に足りないものがわかってくるのです。この問題を穴埋め問題に変換するというのは、ボストンコンサルティンググループの内田和成さんが「仮説思考」でおっしゃっていた「空パック」と同じ意味と言えるでしょう。
「空パック」とは、具体的にいえば三十枚くらいのスライドのパッケージのうち、大半が埋まっていないか、あるいは、いいたいこと、証明したいことは書いてあるが、内容は書かれていない、あるいは分析されていないスライドの集まりのことだ。要はストーリーラインのみがわかるもの、そして、いいたいことをいうために必要な資料のイメージだけのパッケージのことだ。
「仮説思考」(p.89)
何かを主張したいときには、結論と、それを支える事実が必要です。それを全て頭の中で考えるのではなく、全体を俯瞰したアウトプットを重ねて、穴=「空パック」が何かを認識する。それが自分がわかっていないこと、足りないことなのです。それを補っていくことが、自分の主張を支えるものになったり、問題解決につながったりするのです。
最後に、以前のエントリでも取り上げた、私の好きなこと言葉で締めくくりたいと思います。
やってみることは思考の一部である
「トヨタ式世界を制した問題解決力」(p.69)