言葉に自分自身の私的な物語を付加する

いつも読ませていただいているBLOG に興味深いエントリがありました。


語彙を自分のものにするためには、言葉を私的な物語につなげることが必要:DESIGN IT! w/LOVE

結局、<言語体系につながって行って最後は語彙に落ちていく>ためには語彙が具体的に経験できる事象とつながらなくてはいけないからです。

それが僕がいつも使う意味での文脈=コンテキストであり、それを物語と言い換えてもいいかもしれません。しかし、その物語は決してありきたりで受け売りの物語ではなく、自分自身の私的な物語でないと、そのなかの言葉を自分のものにすることはできないのではないでしょうか。つまり、使用語彙にするということがむずかしいのではないか、と。


相手に伝える言葉に重みを持たせるには、その言葉に相手が重要と思う何かを付加する必要があります。外から見聞きしただけの言葉を並べても言葉としての重みはたいしたことはありません。その付加する「何か」のうちの重要な一つが、ここで述べられている「自分自身の私的な物語」なのでしょう。


この事は小飼弾さんも別の視点から同じようなことをおっしゃっています。

404 Blog Not Found:書評blogの本当の売り物

私が売っていたのは、本(だけ)ではなく、私の読書体験だったのです。

公平さから見れば、こんな不公平なことはありません。書いてある本の内容は同じですが、それによってどんな体験をしたかというのはそれぞれ違うのですから。しかし、独断であろうが偏見であろうが、それこそが読者が欲しているだと結論するに十分なデータが上がってしまったのだからしょうがない。

概要ならば、目次をコピペすればいい。要約すら蛇足というものです。

しかし、読書体験は、読んだものしかわからない。そして、それを追体験すべく本blogの読者は本を買う。

そういうことなのです。

アフィリエーターとしてとんでもない売上げを公開しちゃっている弾さんですが、その理由がここにあるのでしょう。つまり、書評blog として本の要約を書いてオススメするのではなく、そこに読書体験という「自分自身の私的な物語」を付加しているのです。言葉を私的な物語につなげることの重要性を実際に数字にして見せられると、それを痛感せずにいられません。


「自分自身の私的な物語」=「自分自身の経験」と考えると、ダニエル・ピンクの「ハイ・コンセプト」で書かれている以下の言葉も思い出されます。

モノではなく、「経験すること」にお金を使え。

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代


このブログは自分が見聞きしたもののメモを書き留めておくために始めたものですが、これからは単に本を読んだ内容だけではなく、そこから何を考え、どうしようと思ったか、実行してどうだったか、ということを付加しながら書いていきたいと思います。それには、インプットのためのアプトプットを実践し、どんどん経験をしていくことが重要かもしれません。