怒りという補助線を引く - 思考の補助線

怒りという感情は排除すべきものではなく、うまく付き合うものなのですね。


思考の補助線
茂木 健一郎

思考の補助線 (ちくま新書)

思考の補助線 (ちくま新書)


茂木健一郎 クオリア日記: 男はハカ

「3000部しか売れない原稿にしましょう」
とたけちゃんと誓って
筑摩のPR誌「ちくま」に連載した
原稿が、やっとちくま新書となった。

と、茂木さんご本人がブログで語っているように非常に難しい本。


正直、一度読んだだけでは内容を理解したとは全く言えない状態ですが、心に引っかかったのは「怒り」に関する部分です。


この本のタイトルには以下のような思いが込められているようです。

本書の問題設定である「思考の補助線」というタイトルには、その構想時において、ある危機意識が込められていた。現代の知がはからずも断片化してしまっている、そのばらばらの破片をかき集めてみても、世界の像が一つに結ばない。
(中略)
一見、関係ないように見える分野の間に、補助線を引いてみたい。その補助線を引かなければ見えない新しい世界像、全体として浮かび上がってくるあるイメージを把握してみたい。
(p.116)


その補助線の役割をするのが「怒り」だということです。

一見関係がないと思われるものたちの間に「補助線」を引き、その生き様において自分自身が「補助線」と化して、断片化してしまった知のさまざまな間を結ぶ。そのような、世界の統一性を取り戻す精神運動には、途方にくれるようなエネルギーが必要とされる。
怒りこそが、そのようなエネルギーを私たちに与えてくれるのであろう。
(p.193)

「怒り」は、しばしば創造性の源になる。
(p.190)

目指すべき正しい方向があるのに、多くの人がそのことに気づかず、現状に甘んじている。あまつさえ、不満足な状況に堕していることを自己弁護、利益誘導に使う人たちがいる。そのような世界のあり様を見て、真実を求めるものは怒りを覚える。そのような局面における怒りは、一つの曇りのない現状認識の形式に他ならない。
(p.191)


普段「怒り」とは、あまりいい意味にとられないことが多いのですが、日常に「怒り」を感じずに生きることは、思考停止に陥ってることに等しいと言えるでしょう。日常のちょっとした疑問や不満をそのままにしておく、もしくは怒りを負のエネルギーとして使うのではなく、そこから「じゃあ、どうすればいい?」と正の方向へ進めていく。これが重要なことですね。


同様のことは、トム・ピーターズも「セクシープロジェクトで差をつけろ! 」の中で、感じた怒りをメモしろと言っています。

すべてはアンテナを常にビクつかせていることから始まる。紙でも電子でもいいが、まずは「観察ノート」をつくってみよう。(1)ムカつくことに出くわしたら、(2)すごいものに出くわしたら、何でも書き留める。(1)は、どんな小さなことでもいい。たとえば、ユーザーにやさしくない伝票とか、チンプンカンプンな使用説明書とか・・・・・・。
(p.42)

トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦〈2〉セクシープロジェクトで差をつけろ!


また、小山薫堂「考えないヒント」にあった「勝手にテコ入れ」トレーニングは、ムカつくことをメモすることを一歩進めた感じですね。

日々、目に入るあらゆるものに、勝手にテコ入れする。
(p.19)

考えないヒント―アイデアはこうして生まれる (幻冬舎新書)


日々のちょっとした怒りを大事に正しく使っていきたいですね。